私たちはポケモンと一緒に大きくなった

ポケモン 20周年
ポケモン 赤緑青黃

ポケモンが発売されて20年が経った。

20年・・・。

子どもが成人するように、私も一緒に大人になってきたように思う。

20年前、私は7歳だ。まだ小学校1年生。

といっても、ポケモンが周りの、特に男の子たちの間で流行っていたのは覚えている。

ポケモンって、どんなゲームなんだろう?

そう思って、当時買っていた学年誌の「小学二年生」のポケモン特集をみて、一目惚れした。

ピッピに連れられて

ポケモン 20周年

めっちゃ可愛いやん、ピッピ、って。

とにかく私はピッピに一目惚れした。ピッピピッピピッピ

自由帳にピッピばかり書いていたとおもう。ピッピピッピピッピ

ピッピ

▲当時書いていたピッピを再現してみた。こんなだよね?

とにかく「私もやりたい」と思って親にねだって、今はなきおじいちゃんに、近くの百貨店で買ってもらった。それが黄色のゲームボーイポケットだった。

それから「ポケットモンスター青」を、雑誌・小学二年生の通信販売で買えるということを知って、お母さんに言って買ってもらった。その応募券をはさみで切り取った(たしか)ときのワクワク感とか、今でも覚えている。しかも3000円だったんだけど、自分にとっては大金だったし、あのポケモンで遊べるというワクワク感は忘れられない。

と、私は実はポケモン歴は20年ではない。19年だ。

まぁ、そんなことはどうだっていいのだが、それからはポケモンにどっぷりハマっていったのは言うまでもない。

ピカチュウ版ももちろん買ったし、ポケットピカチュウっていう万歩計とかめちゃくちゃ大切にした。

自由帳にはポケモンばかり書いていたし、ポケモンカードゲームもこれでもかと言うほど買ってもらったし、
それから当時謎の遊びが流行っていて
ポケモンの下敷きに木工用ボンドを塗って、乾いたらその上からマジックペンでそのポケモンをなぞってマジックペンで色をつけて、はがして「オリジナルポケモンシール」を作っていた。

いまでも実家の棚にはそのオリジナルシールが貼られている・・。言語化すると、なんて安っぽいシールを作って遊んでいたんだろう。

でも、それくらい楽しかったのだ。

おまけに、思い出したけれど、すごいなと思うことがある。

今から20年前なんて、ネットなんてほとんどない。

ほとんどないにもかかわらず、ポケモン赤緑青でセレクトボタンを押したらポケモンのレベル100になるっていう裏ワザなんてのが、私の耳にも入ってきて、実際にできたのだ。

ミュウがバグで手に入るとか、
レベル100になるとか、
あの再現手順って結構複雑なはずなのに、どうして小学二年生ごときにもできるくらい、伝播したんだろう。

すごいよポケモン。

口コミ力半端ない。

ポケモン 初代 裏ワザ

▲20周年を記念して3DSで出された「ポケモン青」でこのバグ技ができると聞いてみてやってみたら、見事にまたレベル100にできた。このバグ技を残した任天堂は本当によくわかっている・・!

ポケモン 裏ワザ

▲弱小ポケモンの中に混ざりこむ「ラッタ レベル100」の違和感がすごい

忘れられないポリゴンショック

その後テレビも放映されて、私もポケモンライフを楽しんでいたんだけど、そこで忘れられないのが「ポリゴンショック(ポケモンショック)」だろう。

1997年12月16日に放送されたポケモンのアニメで、ポリゴンっていうポケモンが出てきたんだけど、青と赤の光線みたいなのが交互に映し出されて、体調不良者が続出したという事件だ。

もちろん私も見ていた。
私は何もなかったんだけれど、それが社会問題になって、学校でも一大事になって、当時小学3年生だったんだけど、学校でもアンケートが取られた。

先生が終わりの会で、「ポケモンを見ていた人?」「体調が悪くなった人?」と聞いてきて、クラスメイトの男子が「気持ち悪くなりました」とか「頭が痛くなった」とか答えていたのを覚えている。

それからポケモンは数ヶ月放送されなくなってしまって、もうポケモン終わったんじゃないかって感じだったんだけど、そこから「ミュウツーの逆襲」っていうポケモン史上最高にいいんじゃないかっていう映画が出て、やっぱりポケモンすごいわってなった。

この映画をお母さんと見に行ったときに、夏休みだったと思うんだけど、大阪の梅田の映画館で、「七夕だから短冊にお願いしよう」みたいな企画があって、「この世界がポケモンみたいになりますように」ってガチで短冊に書いてお願いした。

ポケモンを実際にゲットできて、飼うことが出来て、ポケモンマスター目指せたらなんて結構まじで思っていたと思う。

って、それが今年実現するんだよね。Pokemon GOで。

スマホを使ってingressのようにポケモンを世界各地で捕まえられるっていう体験なんだけれど、これが約20年経って、形をかえて実現できるなんて、完全に私得だ。

ポケモンシリーズと一緒に大きくなってきた

私はなんだかんだで全作プレイをしている。

赤緑こそ青のあとに中古で買ってプレイをしたけれど、金銀が発売されたときは当時小学5年生で、もうめちゃくちゃプレイした。最初のポケモンを選ぶのにめちゃくちゃ迷った。ヒノアラシとチコリータでさんざん迷って、可愛さでチコリータにした。そして何より、ジョウト地方で遊んだあとに、カントー地方でも遊べたことに衝撃を覚えた。もちろんクリスタルもやった。

ルビー・サファイアが発売された頃は思春期で、中学2年生だった。私は中学受験をして女子校に通っていたので、小学校のときに一緒にポケモンで遊んでいた友達たちとは別の友達と遊ぶようになっていた。

このときにルビー・サファイアで「ひみつきち」が作れるようになって、木の上にひみつきちを作って、自分の部屋を模様替えして、友達と通信でそのひみつきちをのぞきあうことが楽しかった。エメラルドはやっていないが。

この頃から6歳年下の弟と一緒にめっちゃポケモンで遊んだし、ポケモンカードも一緒に遊んでいたと思う。

弟はゲームボーイアドバンスで復刻版として出た「ファイアレッド・リーフグリーン」を一生懸命やっていた気がする。私もやっていたけれどそこまでやりこんではいない。

ダイヤモンド・パールではすでに高校3年生だったと思う。さすがに大学受験があったのでやりこめてはいないけれど、私はダイヤモンドを、弟はパールを選んで、プレイした。最初のポケモンは迷わずポッチャマにした。

その後大学生になって、ポケモンとは離れた生活を送るんだけど、「プラチナ」が出てまた一気にポケモン熱がやってきた。大学2年生のときだった。個人的には、このプラチナには相当の時間をかけてハマってしまい、「個体値厳選」とかやりこんで、たぶんプレイ時間は240時間を超えている。

大学まで片道1時間ほどかけて電車で通っていたので、その電車の中でやったりと、相当はまっていた。バトルタワーも散々行ったし、フカマルというドラゴンポケモンを強いメタモンと配合してタマゴを孵化させまくった。そしてめちゃくちゃ強いガブリアスが出来上がった。

このプラチナには相当はまったのに、その翌年にでた「ハートゴールド・ソウルシルバー」はたいしてできなかった。ポケモンウォーカーという、万歩計みたいなものがついてきて、ゲーム内のポケモンをそれに持ち出すことができるというものだった。それを持ち歩くだけで満足してしまったのだ。

大学4年生になったときに、新作の「ブラック・ホワイト」が出た。これもブラックを買ってプレイしたんだけれど、大学4年生って色々やっていたのでほとんどできていなかったと思う。ただ、3D風なビジュアルの綺麗さとか、ブラックシティのBGMの衝撃には感動した。

気付けば社会人も2年目のときにこの続編「ブラック2・ホワイト2」が出た。これは当時やっていなくて、一昨年の年末に、夫とやりこんだ。どっちが先にクリアできて、どっちが強いか、というもの。

結果、早くクリアしたのは夫、強いのは私という結果だったけれど、このブラック・ホワイトのストーリーは結構好きだ。Nの中二病感がたまらない。

ポケモンX・Yでは社会人3年目だった。発売されたときにはすでに私は妊婦で、産休に入る前だった。結婚してはじめて、夫からの誕生日プレゼントが、このニンテンドー3DSとポケモンXだった。産休に入ったら夫から「これで思う存分ポケモンができるね」なんて言われたものの、結局ブログにはまってしまって、このポケモンXはいまだに殿堂入りできていない。

そして今年の冬には新作「サン・ムーン」が出る。これも、もう買うことは決定している。

わたしはもう27歳という、大の大人だけれど、小学校2年生のときと、ポケモンを好きな気持ちは変わっていない。

それどころか、毎月のようにポケモンセンターに通ったり、グッズを買い漁ったりして、加速している。

ポケモン 20周年

母親になったら母親らしくなるのかもしれないけれど、そんなことはない。好きなものはずっと、子どもの頃と同じように好きだ。むしろ、何ならわたしは早く娘と一緒にポケモンバトルをしたい。いま2歳の娘がポケモンをできるようになったら、大人気なくボコボコにしたい。

「ママが小学校2年生のときに遊んでいたポケモンなんて、白黒で音もピコピコだけだったしバグもあったんだよ」なんて会話を早くしたい。

きっとポケモンカードゲームもやってしまうだろうし、「ママ、対戦しよう」って言われたらそのためにポケモンを育てまくるだろう。

ゲームというものは、なんだか勉強と対極するような立場にあるかもしれないけれど、少なくとも私の人生の中でポケモンが生活の一部になっていたことはまちがいない。

そして、私が母親や夫などからたくさんのポケモングッズを買ってもらったり、時間を使ってもらったように、娘や、ほかの子どもたちがそれを望むなら、同じようにそうしてあげていきたい。

ポケモンが好きすぎて、はじめの就職活動時の第一志望が任天堂だったのは鉄板で内緒だ。エントリーシートで落ちたけど☆

え?1番好きなポケモン?・・・難しいけれど、ブラッキーかな。プラチナ時代にやりこみすぎて、「のろしっぺ」ブラッキーをとても好んで使っていた。強いし可愛いし。

・・・

ポケモン20周年おめでとう。

私は青を買いました。ゲーム内のBGMが懐かしすぎてやばいです。対戦とかぜひしてください☆