アンパンマンのマーチの歌詞に見る、『やりたいこと』とは

アンパンマン

アンパンマン
画像元:アンパンマン公式サイトより

最近、生後3ヵ月のりりにお歌を歌ってあげたらとても喜ぶようになったので、味をしめていろいろな童謡を覚えている最中の@Manamiです。

そこで昔懐かしのアンパンのマーチを久しぶりに聞いてみたら、とても歌詞が深くて考えさせられてしまいました。

アンパンマンのマーチ歌詞

以下、アンパンマンのマーチの歌詞

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を 零さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

どうですか?深いなぁと思いませんか?

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!

この辺はぐさっときました。まるで就活のときに行った自己分析のように、考えさせられました。
皆さんは答えられますか?私は答えられなくてぐさっときたわけです。

でも、答えられなくてグサっとくるということは、答えなければならないという概念が根本的にあるわけで。
それを明確に言えないといけないということこそが、逆になんだか自分自身を生きづらくしているのかなあとも思うわけです。

別にやりたいことは見つけなくてもいいんじゃないか

そこで私が好きな社長の一人である、nanapiを作っているけんすうさんのブログで、こんなエントリがありました。

ここで言われていることは、ブログのタイトル「別に『やりたいこと』なんて見つけなくてもいいんじゃないか」が物語っているのだけれど、「やりたいこと」というのはあったほうがいい、あるべきである!という世間の一種の脅迫概念があるけれど、それを持っているような人は結構少ししかいなくて、別になくてもいいんじゃないか?ということ。
この言葉には、猛烈にやりたいことがあるわけではない今、救われた気がします。

好きなこととやりたいことは違う

やりたいことはなくてもいい、という前提に立ったとして。
「好きなこと」というのは誰しもあるはずです。

先ほどのアンパンマンの歌詞の中では
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

この部分。
つまり、何に幸せを感じて、何がうれしいか、楽しいかということです。
これが、自分の「やりたいこと」を考えるヒントになりうると思います。

これなら、少し考えれば、誰しも持っているはずです。

しかし、です。
好きなこととやりたいことは違います。
例えば、私は「カレーを食べることが好き」だけれど、それを今後、例えば一生をかけて毎日3食ずつ食べたいか?といわれると、違います。(もちろん食べたいという人はいるでしょうが)

え?
じゃあアンパンマンの歌詞に書いてある、好きなことをやれば人生が楽しくなるっていうのは何なの?
と思いそうですが。

好きなことは単に好きなことです。
でもやりたいことはそこにビジョンがあるか?ということです。
それがアンパンマンの歌詞の中では、夢という言葉で表現されている(と勝手に思っています)。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

カレーを毎日死ぬまで食べ続けたくはないし、カレーを食べ続けることは夢ではありません。

夢と言わないまでも、覚悟なんじゃないか

でもこれ、夢、なんて言ってしまうと、また少し大きすぎて非日常を感じる言葉だなあと思います。

だから、身近なこととして好きなことをまずは考えてみると。

例えば、私は自分の子供と遊ぶのが好きです。
たぶん子を持つ親は誰しも思うことだと思います。

じゃあ、子供と遊んだらどううれしいのか?何が幸せなのか?
もう少し大きな、上述したビジョンも含めて考えると、
「子供が成長し続けるのを見守りたい」とします。
なんだか大げさっぽくなりましたが、たぶんやりたいことというのは
普段自分が好きなことを大げさっぽくすることなのかなあと思います。

で、この大げさという表現を自分なりに細かく分解してみると、結局そこには覚悟があるなあと感じます。

子供といるのが好き
という表現に加えて、
子供を見守りたい
という自分の願望、自分の中から湧き出てくる覚悟があるからこそ、そこには「子供を守る」責任が生じて、「子供が成長し続けるのを見守りたい」という、結果的に大きなビジョンになるのではないでしょうか。

だから、やりたいことがないなあ、でも何かやりたいことを決めたいなあと考える際には、自分の好きなことに、少しだけ「覚悟」を持たせてやれば、いいと思うのです。
すると責任が芽生えて、ビジョンなり目標になりうると思うのです。

アンパンマンの正義

以下、アンパンマンの正義について感動したところを引用して終わりにしたいと思います。

アンパンマンと「正義」というテーマについて、やなせは端的に「『正義の味方』だったら、まず、食べさせること。飢えを助ける。」と述べている

<—-中略—->

そしてアンパンマンは食べられることはあっても、食べることはない。それは単純に(カレーパンマンやしょくぱんまんとは異なり)アンパンマンが食事をする場面が一度も描かれないことにも現れている。「飲食」が大きなテーマとなった世界で、本来の「食べる」と「食べられる」の食物連鎖的な循環を裁ち切り、自らを食事としてのみ差し出す自己犠牲こそがアンパンマンのヒーロー性を支えているのである

Wikipedia アンパンマンと正義より

アンパンマンほど自己犠牲の高いヒーローは他にも見たことがないですね。
私も自己犠牲の精神は大好きなので、ずっと見習い続けたいヒーローです。

アンパンマンは“世界最弱”のヒーロー。ちょっと汚れたり、雨にぬれただけでも、ジャムおじさんに助けを求める。でも、いざというときには、自分の顔をちぎって食べてもらう。そして戦います。それは私たちも同じ。みんな弱いけれど、そうせずにはいられないときもあるのです

Navarまとめ やなせたかし先生が「アンパンマン」に込めた哲学がすごすぎる! より

アンパンマンも強くはないけれど、それを支えるジャムおじさんやバタコさん、仲間に支えられていることがアンパンマンの強さですね。

アンパンマンのマーチ

https://www.youtube.com/watch?v=meAgRanQjmQ

いつもこれを流して子供をあやしています。

おしまい。